https://www.1st.kasuri-ikat.com Sun, 07 Nov 2021 01:48:39 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.9 https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/wp-content/uploads/2021/11/kasuri-logo-yagasuri-150x150.jpg https://www.1st.kasuri-ikat.com 32 32 久留米絣2-着物・洋服 https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/kasuri-kimono-clothes/ https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/kasuri-kimono-clothes/#respond Sat, 06 Nov 2021 07:15:14 +0000 https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/?p=198

久留米絣・着物と洋服

5月15日に、久留米絣の洋服をご紹介しましたが、なぜ着物を紹介しないのかと不審に思われたかもしれません。後でまとめて着物をご紹介する予定にしておりましたが、洋服と同じページに着物もご紹介することにしました。

絣に限らず、日本の織物は着物を織るために始まっており、現在も着尺として織られていますので、日本における絣や染織のルーツを考えるならば、今ではほとんど着物は着られなくなったとはいえ、まずは着物からご紹介すべきでした。

今回ご紹介します着物は、3月16日と17日、久留米で開催された「第32回久留米かすり 藍・愛・で逢い フェスティバル」品評会で様々な賞を受賞された作品ばかりです。バッグや帽子などの小物も最後(洋服の後)にご紹介しています。(2019/5/22)

久留米絣の洋服をご紹介します。「第32回久留米かすり 藍・愛・で逢い フェスティバル」会場に展示されていた、久留米絣の洋装最新ファッションです。ファッションショーも開かれたのですが、わたしは時間的に間に合わず、残念ながら見ることはできませんでした。

今回ご紹介しますのは、マネキンさんたちのファッションショーです。細かい絣模様までは見えない物もありますが、絣は洋装にも全く違和感はありませんね。しかも男性用もOK!
(2019/5/15) 2019年05月15日

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インカ・ショニバレCBE展 https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/yinka-shonibare-cbe/ https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/yinka-shonibare-cbe/#respond Sat, 06 Nov 2021 07:00:20 +0000 https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/?p=192

インカ・ショニバレCBE展

インカ・ショニバレCBE・
インカ・ショニバレCBE・Fiower Power

本日は、絣のご紹介ではなく、福岡市美術館で開催中の、インカ・ショニバレCBE展をご紹介したいと思います。大規模改装のため2年半ほど休館していた、同美術館の開館記念展の会期も残り少なくなってきましたので(勘違いでした。会期は5月26日まで)、先日、何年ぶりかで美術館に足を運んだのですが、そこで初めてインカ・ショニバレCBEのお名前とその作品に出会い、衝撃を受けました。

衝撃の第一は、その作品が、織物である絣とは異なる綿のプリント地(染め物)であるとはいえ、衣服の素材となる布地を使った作品であったという、偶然性に驚いたことです。会場に足を踏み入れるまで、インカ・ショニバレCBEの作品はもとより、そのお名前すら全く知りませんでしたので、わたしの目下の関心と図らずも重なっていた偶然に対する驚きは、衝撃と表現したくなるほどのものでした。 もちろんこの衝撃は、その作品のすばらしさによってもたらされたものであることは、言うまでもありません。

昔、東京で森英恵展を見たことがありますが、展示されている作品は全て、あくまでも洋服として作られた作品ばかりでした。蝶などをモチーフとした非常にユニークで、多種多様な図柄の布地段階から創作される森氏の洋服は、どれも創造的な美術作品でもあったわけですが、ファッションデザイナーである森氏の創作物は当然のことながら、あくまでも洋服という実用の用の範疇からはみ出すものではありませんでした。

しかしインカ・ショニバレCBEは、衣服の素材として作られているプリント地を、衣服という範疇から完全に切り離して、アート作品の素材として利用。しかも単に素材として利用しているだけではなく、衣服素材としての本来の特性も100パーセント取り込みながら、実用の用としての衣服からは完全に逸脱しています。そしてこの逸脱が、これまで世界中で数限りなく生み出されてきた、いかなる美術作品とも全く異なる独特の美を生み出しています。

絵画にせよ彫刻や他の立体物(インスタレーション)にせよ、その素材の変化が作品世界にも大きな変化をもたらしてきたことは、あらためていうまでもない周知の事実ですが、インカ・ショニバレCBEが使う綿布のプリント地は、ごくありふれた日常的な素材でありながら、世界の美術史に大画期をもたらす、素材の新たな大発見であった、とも言いうるものだと思われます。

作品に使われている布地は、画題説明によれば全てオランダで製造されている綿のプリント地だとのことですが、どれもこれも全ての布地が非常に図柄多彩で色彩も鮮やか。その多彩な図柄と鮮やかさゆえに、布地だけでも鑑賞に値するほどに人目を惹きますが、見方によっては、素材そのものが主張しすぎるともいえるわけです。自ら強烈に主張しすぎるこの素材に負けずに、作品を創造することは並大抵のことではないはずですが、インカ・ショニバレCBEは、色鮮やかなそれらの布地の特性を存分に活かしながら、全く別世界を生み出しています。

その特異な作品を生み出す源泉は何か。気になるところですが、インカ・ショニバレCBEはアフリカのナイジェリアの血を引く、イギリス生まれのアーティスト。「CBE」とは、その功績をたたえて、イギリス王室から授与された大英帝国三等勲爵士だとのことですが、本稿では敬称として使わせていただいております。
インカ・ショニバレCBEが作品の素材として使う色鮮やかなプリント綿布は、即座にアフリカ更紗、あるいはアフリカン・プリントを連想させますが、アフリカに出自をもつとはいえ、郷愁を動機とするかのようなこの単線的な連想だけでは、ショニバレCBEの作品は語れません。

一つには、ショニバレCBEは、ナイジェリアに出自をもち、子供の頃にナイジェリアで過ごしたとはいえ、イギリスで生まれ、イギリスで教育を受け、イギリスで創作活動を開始したという、複層的な境界性を内包しつつ生きることを余儀なくされてきたからです。余儀なくされてきたといえば、マイナスのイメージになりますが、ショニバレCBEはむしろ、自らの境界性を汲めども尽きせぬ創作の源泉としているように思われます。

単線的連想を否定する二つ目の根拠は、今ではアフリカ土着の産物かと思われているアフリカン・プリントも、実はインド、ないしはインドネシア(ジャワ)から輸入された外来物であったという。しかもプリント綿布のアフリカへの伝播は、大航海時代以降から始まるヨーロッパ列強による世界の植民地化、アジア、アフリカに対する植民地化政策の結果であったという。具体的にはオランダ人がインド更紗やジャワ更紗の美しさに魅了され、自国でも生産を開始、ヨーロッパやアフリカにも輸出したのが、プリント綿布伝播の流れだという。

オランダは現在もプリント綿布の一大生産国であるらしく、ショニバレCBEの作品では、全てオランダ産のプリント綿布が使われています。イギリスにはオランダ産綿布を専門に売るお店があるらしく、その写真も展示されていましたが、非常にカラフルなプリント生地の展示そのものが、まるでアート作品の展示かと見紛うほどに美しい。これには心底驚きました。日本でも生地の問屋さんに行けば、大量の生地の展示は見ることはできると思いますが、色鮮やかなプリント綿布専門の店はないのではないか。イギリスでは専門店があるほどのプリント綿布の需要があるということなのでしょうか。まさかショニバレCBE御用達専門のお店ということではないとも思われますが、真相は不明。

という疑問も芽生えましたが、ショニバレCBEの作品には、作家自身の出自に由来する複層的な境界性と、素材であるプリント綿布のもつ複層的な境界性とがないまぜになって、美という頂点において世界を撃つという動的な美しさに満ちています。造形力もすばらしい。是非ともご覧いただきたく、会期もあとわずかですが、ご紹介させていただきました。

なお、繰り返し登場しておりますプリント綿布は、インドのろうけつ染めに由来するものだとのことで、正確には「オランダ製ワックスプリント綿布」です。長すぎますので、文中では省略しました。

また、さっき知ったばかりですが、2006年9月に国立民族博物館で「更紗今昔物語~ジャワから世界へ~展」が開催されたらしい。展覧会の案内も参考になると思いますので、リンクを貼っております。同展の解説によると、学術調査の結果、更紗の伝播はジャワからインドへ、であることが判明したという。

ところが2014年10月には、福岡市美術館でも「更紗の時代展」という似たような展覧会が開かれていたことを、たった今知ったばかりです。展示の詳しい解説が公開されていますので、こちらも参考資料としてリンクを貼っておきます。こちらは更紗の伝播の起点はインドと見ているようです。

インカ・ショニバレCBEの公式HPにもリンクを貼っておきます。すばらしい作品の数々がWEBに惜しげもなく公開されています。 2019年04月25日

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久留米絣1 https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/kurume-kasuri/ https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/kurume-kasuri/#respond Sat, 06 Nov 2021 03:32:05 +0000 https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/?p=146

久留米絣1

ただひたすら絵をみるように、多種多様な絣の文様をお楽しみください。

元のHTML版のサイトには、公開中に発生しました画像喪失などの様々な不具合について、その都度修正、報告しておりましたが、最近初めてご覧いただいた方には何のことかも分からないと思いますので、この新しいWordpress(WP)版では、本編以外の文章は削除しております。旧HTML版サイトも残しておりますが、WP版では、旧サイトのようなモーション画像の再現はできませんね。旧HTMLサイトはJUSTシステムのホームページビルダーで作成したものです。

令和元年5月1日

令和の時代が始まりました。よき時代になりますことを祈りつつ、久留米絣の画像を新たに21点ご紹介いたします。スライドショーですので、絣柄の一つ一つを十分にご堪能いただけるかと思います。(復活版10/11)

久留米絣1

絣15点をご紹介します。

2019年04月18日

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絣とikat https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/kasuri-ikat/ https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/kasuri-ikat/#respond Sat, 06 Nov 2021 03:00:07 +0000 https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/?p=196

絣とikat

絣とikatについては「絣ラボ」にて概略ご説明しておりますが、やや説明不足かと思われる部分もありますので、あらためて説明を付け加えることにいたします。

まず「ikat」の語源についてです。当サイトでは、マレー語源と解説しておりますが、インドネシア語源やインド語源との説明もありますので、戸惑っておられる方もいらっしゃるかもしれません。長文になるのを避けて参考文献を省略しましたが、染織研究家小笠原小枝氏のご著書(「日本の美・絣」「日本の絣・展」カタログ)を参照させていただきました。

他の絣研究家のご著書もいくつか拝見しましたが、語源の由来とその命名者(スイス、バーゼル博物館館長であった故Dr.ビューラ)のお名前まで記しての詳しい「ikat」語源解説は、小笠原氏のご著書以外では目にしておりませんので、小笠原氏のお説を紹介させていただきました。「絣ラボ」は専門的な絣研究サイトではございませんので、詳細まではご紹介しておりませんでしたが、参照させていただいた上に、その優れたお仕事に敬意を表する意味でも、小笠原氏のお名前はご紹介すべきでした。

またマレー語は、マレーシア、シンガポール、インドネシアで使われている言語だとのこと。インドネシア語はマレー語に由来しており、両者はよく似ているとのことですので、インドネシア語源としても間違いではないとは思いますが、インドネシア語の由来からしますと、マレー語語源説になるはずですね。

インドでは非常に多くの言語が使われているようですが、代表はヒンディー語。ヒンディー語とマレー語は似ているのかどうかは、わたしには分かりませんが、世界の絣を探訪している絣の専門家のお一人は、インドとインドネシアはともに絣をikaと表記すると書かれています。おそらくインドでは、ikatが世界共通語になってからの使用ではないかと思われますが、ikatの語源については、小笠原氏説をご紹介させていただきます。

また、絣そのものの起源についても複数説があります。小笠原氏もこの点については複数説を紹介されており、確定的な判断は示されていません。他の専門家もほぼ同様に複数説を紹介されていますが、複数説をご紹介すると長文になりますので、インドで世界最古の絣関連の遺跡が発見されたことや、インドでは、そして後には日本でも広く普及していた経緯絣が、インドネシアでは特定の一地域でしか織られていないということから、わたしの素人判断でインド起源としてまとめました。

しかし専門家のほとんどが、絣の起源についてはインドかインドネシアかを明確には特定していない中で、素人がインド起源であるかのような、断定的な書き方をしたのは軽率だったと反省しています。

専門的な研究サイトではないとはいえ、絣専門のサイトである以上、絣をめぐる基本的な認識については、ある程度の正確さは備えておくべきだったと思います。この反省の流れの中で直面しているのが、当サイトでご紹介する絣の基準についてです。

絣も近代化以降は機械化が進み、昔ながらの手作り品は価格競争に負け、市場から駆逐されるという憂き目に遭ってきました。伝統工芸品の伝承を推進する国の支援もありますが、十分なものではありません。基本は絣製造業者や個々の作家の努力にかかっているわけですが、自力での事業継続のためには、機械化の導入もやむなしという判断に至る場合も当然出てきます。ただその機械化の導入にも様々な段階があり、全面機械化や海外委託生産のみならず、ごく一部を機械化して手作り感を残しながら事業の継続を図るという、複雑な選択もあるわけです。

絣といえば、これまでは、伝統的なオール手作りによる絣生産がテーマになってきたように思います。全行程を手作りされた絣は、その風合いも含めて確かに非常に美しい。しかし、オール手作りの絣だけが真性の絣だとみなして、それ以外の絣は非真性、つまりは偽物だとみなして無視することが、絣にとっては喜ばしいことなのかどうかという迷いが生じます。少なくともわたしは、この迷いの渦中にあります。

しかしその一方で、非常な重労働である糸染めも含めて、オール手作りで絣を作っておられる事業者や作家の方々にとっては、機械も手作りも同列だとされたのでは、とうてい納得はできないはずです。当然です。そして従来の絣に関する書物のほとんども、手作り絣に焦点を当てています。

絣の伝統技は、こうした手作り絣の事業者や作家の方々によって伝承されてきましたので、その事業の継続を支援するためにも、手作り絣に焦点を当てるのは当然すぎるほどに当然です。しかし絣の間口を広げることも、絣や伝統的な染織に対する、人々の関心を高めるきっかけになるのではないかとも思われます。

近代化の果てに、人工物が氾濫するに至った現在、人々は逆に天然自然のものを求め始めています。環境破壊が進む中、環境保護のためもあるとはいえ、こうした動きは、生物である人間の感性が求める不可避の欲求ではないかとも思われます。

絣の行く末も、同様の視点に立って眺めてみてはどうかとも思っています。

2019/05/08 絣ラボ 久本福子

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染色と着物 https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/dyeing-kimono/ https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/dyeing-kimono/#respond Sat, 06 Nov 2021 02:23:58 +0000 https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/?p=126

染織と着物

着物は日本の伝統的衣裳だとはいえ、男性にとってはもとより、女性にとっても特殊な場合以外には、ほとんど着る機会はないというのが現状だと思います。ましてや着物の柄や織に特に注意を払って観察するという機会や興味は、皆無に近いのではないかと思います。わたしも同様で、ただひたすらタンスに眠りつづけている着物の織や柄も忘れてしまいそうなほどに、ごく身近にありながら遠い存在になっていました。

そんなわたしが特に着物の柄に興味を惹かれる、ある出来事に遭遇しました。2015年、福岡市博物館で徳川家康没後400年を記念した「大関ヶ原展」が開催されたのですが、その時に見た合戦絵がきっかけでした。数ある合戦絵の中に足軽の群像を描いた絵があったのですが、その足軽たちが身につけている着物の図柄が全て異なっており、同じ図柄、文様は一つとしてありませんでした。

秀吉の治世を経て、長らく続いた戦国時代に完璧に幕を下ろすことになる最後の大合戦ですので、おそらく農民たちも動員され、着物も彼らの自前のものだったのかもしれませんが、合戦時の現実を反映したものかどうかとの詮索とは別に、足軽の群像が密集して描かれているにもかかわらず、彼らが身につけている着物が、一人一人異なった図柄に描き分けられていることには驚きかつ感動しました。

絵師の名前はありませんでしたので、地方の無名の絵師だと思われます。細部の描写は絵師の想像力によるものだと思われますが、その絵に描かれたそのままの絵柄、文様かどうかは別にしても、当時の着物には非常に多彩な、多種多様な図柄、文様が描かれ、織り込まれていたことを反映したものではないかと思われました。

もちろん、合戦場面を描きながらも、絵画的な美しさを際立たせるために、下層の足軽たちの着物の柄までをも、一つ一つ違う絵柄に描き分けた可能性もなきにしもあらずとはいえ、合戦に駆り出された当時の足軽兵たちはみな、思い思いの自前の出で立ちで陣に参加したという現実があっての、着物の柄の描き分けではないかと思われます。

それまで目にしてきた合戦絵は巻物が大半でしたので、小さいということもあり、着物の図柄までは目に入りませんでしたが、本展の絵はみな額縁入りの大きな一枚絵でしたので、細部まで目に入ってきます。特に足軽の群像を描いたこの絵は色彩鮮やかで、絵画を見ながら着物の図柄に目が釘付けになった初の作品となりました。足軽という下層民と美しい絵柄の着物というギャップが、特に印象を強くしたのだと思います。
それまでも能衣裳などの豪華絢爛な着物は、かなりの数の実物を眼にしてきましたが、その豪華絢爛さには何度見ても感嘆させられますし、能衣裳にまでなると、衣裳そのものも芸術品そのものです。武士階級に庇護されたがゆえに可能であった芸術作品だったといえそうです。

しかし日常着として身につける着物も、一幅の絵に匹敵するぐらいの美的価値があるのではないか、その発見に遭遇したのが、大関ヶ原展でした。合戦という非日常的な、およそ美とは真逆の世界に発見した、日常的世界に宿る美であるだけに、なお印象が強かったのだと思います。

以来、それまでほとんど関心のなかった着物の文様、図柄の美にも関心が向き始めますが、まだまだ漠然としたものでした。とろが、ある日、福岡県立美術館で入手した「日本の絣・展」の図録を見たのがきっかけで、一気に絣に対する関心が高まりました。いくつかの絣の専門書にも目を通しましたが、絣は現代という時代を読み解くヒント満載だと直感し、当サイト開設を思い立った次第です。

絣に惹かれて染織関連の書物も少し読みましたが、日本で生まれ、受け継がれてきた染織の種類の余りの多さには心底驚かさせられています。染織品には大きく分けて、文様を織り出した文様織(織物)と、織った布に文様を染め出した文様染(染物)の2種類があり、それぞれにまた多種多様な染織品がありますので、一気に全てにアプローチするのは不可能なほどです。

染物の代表は琉球紅型、京友禅や江戸小紋など。京鹿の子絞は絞り染の代表です。手描きの京友禅は現在では最高級着物の代表ですが、何とその源流を辿れば、江戸時代前期に何度も出された奢侈禁止令を受けて考案されたものだったという。それまでは金糸、銀糸,金箔などを多用した、今なら結婚式ででも登場しそうもない金襴緞子(きんらんどんす)調の超豪華な金ピカ着物が作られていたらしい。

しかし禁止されたからといって、日本人は模様のない着物を着たりはしません。なんとか実際の金を使った金ピカ着物に替わる、美しい着物を作り出せないかと様々な工夫を重ねた結果、腕のいい絵師が絹の着物に絵を描いて誕生したのが京友禅だったという。現在からは想像もつかない友禅誕生秘話ですが、日本人の創造力の豊かさも伝わってきます。

友禅誕生秘話に限らず、日本各地で織られてきた、着物の素材となった多種多様な染織の歴史からは、もう一つの日本の歴史や、その時々の日本と世界との関係も見えてきます。着物は貴賤の別なく絶対的に必要な日用必需品ですので、歴史のメインストリームからはこぼれ落ちた歴史が、着物や染織を通して姿を現すのはある意味当然だと思われます。のみならず、日本文化の多様性も、北から南までの多種多様な染織の数々に映し出されています。

他に類似品がないという特異な織の佐賀錦(佐賀県)、奈良時代からつづくという桐生織(群馬県)、伊豆八丈島の黄八丈(東京都)、木綿縞織物の代表である唐桟織(とうざんおり・千葉県)、会津縞とも呼ばれる会津木綿(福島県)、男物袴地で有名であった仙台平(宮城県)、庶民の知恵の詰まった津軽子ぎん刺し(青森県)、アイヌ伝統のアットゥシ織(北海道)、藍染染料の代名詞ともいうべき阿波藍(徳島県)等々、これらは日本の染織のごくごく一部です。

日本各地でそれぞれの風土の中でから生まれてきた多種多様な染織とそれらを形にした着物の数々。おそらく、着物や染織は、日本人論の新たなテーマの源泉の一つにもなりうるのではないかと思われますが、着物は余りにも身近でありながら、現代では非常に縁遠い存在となっていますので、学問分野においてもメインストリームからはこぼれ落ちた、傍流の存在でした。

しかし忘れられた存在と化した着物と染織は、日本の歴史や日本の文化を考える際の、重要なヒントを与えてくれる貴重で豊かな文化遺産です。とはいえ、日本の着物の染織は余りにも種類が膨大です。本サイトではまずは、貴賤の別なく広く普及した織物、「絣」に焦点を当てて、日本の着物のもつ豊かさの一端を、画像を通してお伝えしたいと思います。合わせて絣の世界的な広がりとその多様性にも迫りたいと思います。

なお今回は、絣の画像のご紹介はトップページのヘッダー画像にとどめ、本格的な絣のご紹介は次回からといたします。

   絣ラボ 久本福子
   2019/04/10

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絣ラボ https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/kasuri-lab/ https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/kasuri-lab/#respond Sat, 06 Nov 2021 01:28:19 +0000 https://www.1st.kasuri-ikat.com/static/?p=123

絣ラボ

アイキャッチ画像

日本の絣と世界の絣の美とその魅力をご紹介するサイト、「絣ラボ」を開設いたしました。日本の絣の歴史は古く、貴族や武士などの上層階級の着衣に使われてきました。江戸時代以降は木綿や麻素材による庶民の日常着としても広く重用されてきましたが、今ではある種の郷愁を誘う、いささか遠い 存在になっています。しかし絣には、グローバル化と複雑化が進む一方の現代を生きるわたしたちに、様々な思考のヒント与えてくれる魅力と謎に満ちています。絣のもつ謎を秘めたその魅力をお伝えしたいと、本サイトを開設しました。

絣はまだらに染めた糸を織ることで、さまざまな文様を織り出す織物ですが、その文様は多種多様。ほぼ単色で、実に様々な図柄が織り出されています。その数は数えきれないほどですが、どの図柄もいくら見ていても飽きません。まだらに染めた糸だけで、よくもこれほど無尽蔵に異なった絣模様を織り出すことができるものだと、その創造性には心底驚かされます。数百年前の絣の図案集も現存しますが、今もなお新作が織られています。絣のもつ無尽蔵ともいえる創造性は、現代を生きるわたしたちにとっては思考のヒントの宝庫だとも思われますが、その創造性の秘密は、変幻自在、千変万化に織り出されてきた絣織そのものの中に立ち現れているはずです。

しかも絣はインドを起源に、東南アジア、日本、中国、中東、ヨーロッパ、アフリカと世界中に拡がったグローバルな織物。まさに、グローバル化が進む現代を語るにふさわしい織物ではないでしょうか。絣といえば、日本では古くから庶民の日常着として慣れ親しんできた織物ですが、素材は絹、紬、麻、木綿、芭蕉布などと実に様々。沖縄の芭蕉布のように、その土地固有の繊維も使われています。

素材も様々ですが、織り方も様々。絣糸を経糸(たていと)として使うか、緯糸(よこいと)として使うか、あるは経緯併せて使うかによって織り方が違うという。さらに経緯絣の中でも、経緯それぞれで個別の文様を織り出す方法と、経緯併せて一つの文様を織り出す方法の、4種があるという。日本ではこの4種の織り方が使われていますが、織り方と絣糸の染め方の工夫で、無尽蔵に文様が織り出されてくるわけです。絣糸は、糸をまだらに染め分けるために、糸の一部を括って色がつかないように防染するところに最大の特徴と基本形があります。 

「ikat(イカット)」とは、絣を意味する世界共通の染織用語ですが、その語源はマレー語の「括る(くくる)」「縛る」を意味する「mengikat」に由来するという。糸を括るという絣の基本形が、「ikat」という語で表されているわけです。ただ絣糸の作り方には、糸を括る以外にもにも様々な手法があり、日本では世界最多だといわれるほどの、多種多様な絣糸の手法が編み出されています。織り方でも、経緯絣は絣の起源といわれているインドと日本だけで織られており、あとはインドネシアのバリ島にあるテンガナン唯一村だけだという。 (参照:「絣とikat」)

日本は古代の大昔から、海外から移入した文化を様々に工夫を凝らして日本流にアレンジしてきましたが、絣でも同様に創意工夫を凝らし、日本流の絣を生み出し、継承、発展させてきました。日本の絣はインドや東南アジアを起源とするグローバル性を帯びつつも、日本的な特性をもった多種多様な絣が日本各地で生み出されてきました。その日本の絣に世界が注目し、かつては「絣王国」とまで呼ばれた時期もあったという。現在では着物を着なくなったこともあり、絣の需要も激減。規模としては「王国」にはほど遠い状況にあるとはいえ、絣のもつ無尽蔵の創造性は未来永劫、生き続けることはいうまでもないでしょう。

「絣ラボ」では、こうした「絣・kasuri・ikat」のもつ美と魅力を発信していきます。久留米絣(福岡県)、伊予絣(愛媛県)、備後絣(広島県)が日本三大絣といわれていますが、これらはいずれも木綿絣。木綿以外では、麻絣の越後上布(新潟県)・小千谷縮(新潟県)、紬絣の大島紬(鹿児島県)・結城紬(茨城県・栃木県)などが、絣の範疇を超えた固有の織物として有名ですが、他にも日本各地には、その地の名を冠した、様々な素材を使った数多くの絣が織られています。

ここで忘れてはならないのは琉球絣(沖縄県)です。東南アジアから琉球に伝わった絣が、日本本土にも伝わったといわれていますが、琉球では王宮でも絣が着用されたこともあり、日本本土とは違った華やかさや高級感の漂う絣が織られています。麻絣では宮古上布がよく知られています。

ざっと概観しただけでも、日本各地で多種多様な絣が織られてきたことに、今さらながら驚かされますが、世界に目を向けると、絣の多様性は無限大にまで拡がりそうです。絣ラボでは、日本各地で織られてきた多種多様な絣の数々と、世界各地の多種多様な絣の魅力の数々を、主としてビジュアルを通して、日本国内のみならず世界にも発信していきたいとの、大きな夢を抱いています。

さらには日本国内で「日本絣サミット」、世界規模での「世界絣サミット」を開催したいと、壮大な夢も抱いています。世界に向けた発信や「絣サミット」の開催はすぐには実現は難しいですが、まずは地元福岡の久留米絣の魅力の数々を、素人カメラマンのわたしが撮影した写真を使って、数回に分けてお伝えすることにいたします。素材が入手できなければ更新はできませんので、更新は不定期といたしますが、なるべく更新頻度を上げたいと思っています。一人でも多くの方にご覧いただけますよう、心から願っております。

2019年4月10日 絣ラボ 久本福子

*段落冒頭の一字下げ廃止について  日本語表記では、段落の切れ目を明示するために、段落の始まりは一字下げる決まりになっておりますので、本サイトでも当初は段落の頭では一字下げておりました。しかし文字面全体が凸凹して、見た目の不整合さがどうにも気になりして、一字下げを止めて、頭を全て揃えました。WEBでの長文は、段落ごとに一行開けないと非常に読みづらいので、一行開けは必須です。この一行開けに一字下げが加わりますと、文字面の凸凹感がさらに強まります。一行開けが段落の切れ目を示していますので、機能的には一字下げは不要だとも思われますので、一字下げは廃止することにいたしました。

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